宵刊 うんぼぼ

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脳梗塞

逝去。

今日は日勤でした。出勤して間もなく、嫁から職場に電話が入りました。

「おばあちゃん、亡くなってる・・・。」と。

「ほんまかいや」と、冗談な訳はない電話の内容に思わず言ってしまったが、だからと言ってどうしようもない。以前から覚悟はしていた。

そして僕は詰所にいた同僚に、「おばあちゃんが死んでるらしい・・・。」となんか微妙におかしい日本語で伝えていた。

ちょうど明日は休みなのだが、あさっては出勤であり、葬儀があさってだと忌引で休まないといけない。しかし休んで現場が回るかどうかの心配は当然してしまう。

「帰らんでもいいの?」と気を遣ってくれたが、「帰ってもしゃあないし、大丈夫。」と入浴業務に入る。

昼休憩の時にメールをチェックすると、やはりあさってが葬儀のようだ。当日の日勤さんが僕の遅出になってくれる申し出もあり、そこで初めて勤務表を確認する。幸いにも休めそうな勤務状況であり、なんとかなりそうではあった。
フロア主任は夜勤明けであり、夕方の研修報告会に出てこられたらその時に勤務の相談というか了解を得ておく。

そう、僕は研修報告会の司会のため、仕事が終わっても帰れないのだった。いや、帰ろうと思えば帰れたが、1時間ほど帰宅が遅れるだけで、早く帰っても仕方ないと言えば仕方ないのだ。もう息は引き取っているのだから。

報告会も無事に終わり、帰り間際、同僚からパソコン関係の相談を受け、快く回答して職場を後にしたのだ。

帰宅すると、親戚の伯母さんたちや少し(縁が)遠い近所の親戚が来てくれており、葬儀の相談が始まっていた。

僕はおばあちゃんの横に行き、線香をあげ、手を合わせた。

脳梗塞を患い3年10ヶ月。この夏に経鼻による経管栄養になり、退院してから2ヶ月経ったところだった。

驚くことに、おばあちゃんの死に顔は、ここ数年で一番の安らかな顔であったと思う。

嫁によると、次男は保育園を休ませ、体を拭いたり、手を洗ったりするのを手伝ったそうな。

実はおばあちゃんには妹がいて、車で30分くらい離れたところに一人で住んでいる。先月の9月18日に親戚のあばあさんが亡くなって葬儀に参列された帰りにうちにその妹さんが寄られて、おばあちゃんに会っていたのだ。
おばあちゃん姉妹


おばさんは、返答する元気もないおばあちゃんに何度も何度も自分の事を伝えようとされていた。年老いてから唯一の姉妹が、病気により話すことも出来ない状態を目の当たりにしながら、一所懸命に自分のことを伝えようとされていた。

そのおばさんは元気ではあるが、認知症である。
僕が入れたコーヒーを飲みながら、「呆けんようにせんなん。」と皆で談笑していた。それが数週間まえのこと。今から思えば会えてて良かったなと思う。

明日には僕の姉妹も旦那と子連れで帰省する。僕ら兄妹が生まれてからは初めての葬儀であり、初めて家族の葬儀の日でもある。子供たちには、「人間の死」というものに向き合ってもらいたいと思っている。

おばあちゃん89歳。2

今日は僕のお婆ちゃんの誕生日です。大正8年生まれで89歳になります。

しかしながら、現在入院中でございます。僕の職場の目の前の病院です。
平成16年12月30日に脳梗塞で倒れ、左片麻痺となり、以前は手すりを持てば立てたりもしましたが、最近はめっきり弱ってしまい、少し前にも心不全で入院し、今回再び入院です。

そんなおばあちゃんの誕生日を控え、昨日夕方にお見舞いに行ってきました。

病室に横たわるお婆ちゃんですが、声を掛けても反応が鈍いです。既に僕の名前呼べませんから。もう少し元気な時は嫁の名前は呼べたんですが、僕の名前が抜けている・・・。
おばあちゃん1


何やら物々しいです。
おばあちゃん2


子供たちは「早く帰って来てね」と声を掛けていました。
おばあちゃん3


おばあちゃん4


自宅で祝ってやれないのが少しかわいそうですが、仕方ありません。
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